お袋の状況



お袋の様子は少し見えづらくなっている。
姪っ子は奈良へ、甥っ子は京都へ戻った。 彼らも学校なり生活があるからそれは仕方ない。 それにしても、今回彼らもすぐに帰省くれたことに感謝だ。
残っているのは兄貴夫婦となるが、兄貴の嫁さん、義姉とは直接の連絡手段は持っていない。 彼女の携帯番号とか聞いてないので、こことは連絡が基本、取れない。
そうなると兄貴になるんだけど、まぁ、ちょい面倒。 もし自分なら、多分ある程度は自発的に連絡を入れると思うけど、来ない。 これもまぁ仕方ない、兄弟とはいえ同じ人格じゃない。
で、質問をするがどうも芯を喰った回答が来ない。 今の時点では、次回いつ帰るのがいいのか?ということを気にしている。 それのアドバイスがない。
お袋の状況がやや好転してきていることと、先が見えていないことも影響していると思う。
3/13
発症しそのまま入院。 この時点では「一週間~10日が山」と言われていた。 その日に兄貴が取った音声だと喋りがかなり怪しく、コミュニケーションになっているかどうかも微妙。
3/14
夜に帰省。 病院に行くと、少し会話になるお袋がベッドにいた。 話題の混在とか、まだ聞き取りづらいとか、見えているのか見えていないのかわからないような目線とかあったけど、なんとなく、元気な感じに見えた。
3/15
始発の便で東京に戻ったので見れていない。
3/16
会社。
3/17
仕事が終わってから帰省。 深夜のためまっすぐに帰宅。
3/18
夕方に見舞いに行く。 午後に義姉が見舞いに行ってきていて、部屋番号を聞いてそこに向かったがいない。 個室に移っていた。 で、そこに行くと、居た。
本来はここに僕がいることを驚くなりなんなりありそうなもんだがその反応はない。 ただ、ある程度の会話にはなる。 年寄独特の、自分のことをしゃべるというところがあるので双方向になっているのかは微妙だ。 片目がほとんど見えていないこと、最近耳が遠くて聞き返すとか、聞こえなかった話をそのまま知らん顔で進めるところはあるけれど、そういうのを差し引くと結構普通に近い感じに思えてくる。
時間制限があるので、あまり長居もできずに戻ったが、この時点では僕の中では緊迫感は少し収まってきた。
3/19
東京に戻るので面会開始の11時過ぎに見舞いに。
驚いたことにベッドに座っている。 座らせてもらったのか、自分で座ったのかわからないけど、座っている。 髪の毛を気にしていて部屋に入ると「ブラシないね?」と。 見つけて渡すと自分で髪をとく。 長い髪だから寝ていると邪魔になるんだと思う。 それを気にして、自分でといて。 ゴムバンドか留めるものを要求されたが見当たらない。 「後で来る人に頼んどくよ」というと一応納得。
そのあと、疲れたのか横になったが、その時にお袋の大好物、万能薬のオロナミンCを見せる。 「飲むね?」と聞くと「飲むよぉ」と答える。 再び座らせてふたをとって渡すと、危なっかしいところはあるけれど両手で支えて持つ。 タイミングを計りながら一度、二度と口に運ぶ。 ペースはゆっくりだ資料も少しずつだけれども、ちゃんと飲んでる。 三回目で少しこぼしてしまったけど、でも、結構いけてる。
看護師さんに着替えをお願いしてる間に昼食時間になる。
廊下で待っていると担当医が通りかかる。 なんとなく、頼りない感じの人。 こっちに気づいて廊下で症状の説明を始めてくれた。
どうやら、生死の峠は越えているようだ。 ただ、搬送された時点では右側の脳に影?が映っていたそうで、左側の視界とか動作とかに影響が出ている可能性がある。 これは検査とリハビリをして、家に帰れるのかを判断することになる。 食事や排せつが難しい様ならば帰るのは難しくなるかもしれないし。
原因として考えられるのは血液がドロドロであること、らしい。 飲酒、喫煙、食事や年齢などというので「タバコは吸わない人ですよ」というと喫煙の部分は取り消した。 影の出方が瞬間的なものではなく、時間的なずれがあるようだ。 だから、どろどろになって塊になったものが少しずつ、脳に送られてしまい梗塞となる部分を作ってしまったという判断なようだ。 治療としては血液をサラサラにする薬を投与し、様子を見る。 副作用として血液が固まりづらくなるわけだから、相性を見る、などの説明をされた。
話を聞いて病室に戻ると、食事をとらせてくれている介護士さんに説教をしている。 食べさせ方が下手でべたべたする、とか、この時期はいかが美味しいから酢味噌和えを作って家族に食べさせてあげなさい、とか。 むかつく病人だ…全く。
食事はどれもおかゆのように見えて一部蒸し野菜のようなものがある。 ふと、その器を並べ替えてスプーンを受け取り、自分で食べ始めた。 お。 スプーンから零れ落ちないようにタイミングを計り素早く口にしている。 おぉ。 一週間前に生死の覚悟と言われた人とはとても思えない。 まぁ、今まではもっと普通だったけど、頭やって担ぎ込まれたんだから、これでも十分大丈夫なんじゃないかな?
そんな姿を見ながら、病室を後にして東京に戻った。
3/20~24
仕事のピークで死んだ。 誰かに癒してほしいと普通に思った。 まぁ、自分がつらい時だけ人に優しくしてもらおうなんて思っちゃいけないな。 それはあまりに自己中心だわ。
この辺りで兄貴に「次にいつ帰ればいい?」って聞いているけど、明確な回答が来ない。
まぁ、リハビリとか療養とかそういうステージになっているようだから、緊急度は曖昧になっているのかもしれない。
ただ、こっちにも多少の都合があって、
仕事とか、友達との遊びとか、お金のこととか。 小さいことだけど許されるのであれば少しわがままさせてほしいと思っている。
そう考えると、実は次の帰省は5月中頃になりそうな感じ。
…それでいいのか、ちょっと悩んでいるとこと。
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